トリリンガル 北京 生活

生きるということ

 生きるということは思った以上に醜く、辛いものである。無意味なことし続ける自分が非常に醜く、吐き気がする存在に思えて仕方がない。しかしまたその無意味に思えることが現在自分を生き長らえさせることができる唯一の方法という矛盾もさらに自分に重く圧し掛かる。
 牢獄にでも入ったほうがマシな気もする。そこには自由はないかもしれないが、その苦しみは時が来れば終わりを告げるのだ。今の自分の苦しみはいつ終わるとも限らない。
しかしながら、ただ眼を開けて自分の周りの物を見ているだけという単純動作をする自分も、無意味なことを続けているように思える自分も生きているのである。生きている、生き抜く。様々な表現があるが、そもそももがき続けることに生きるという定義、意味があるのである。つまり生きるというのは単純な生物的行為であり、最も原始的な欲求であり、喜怒哀楽といった高度な感情とは本来別の次元に存在しうるものなのだ。
生きている。それだけにすでに大きな意味があるのだ。醜くても構わない。無意味な存在に思えても構わない。私という存在はすでに私にとって大きな意味があるのだ。

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